北九州市若松区に横たわる低山、高塔山と石峰山。JR戸畑駅を起点にして縦走。このコースは桜の頃かアジサイの季節に行くべきだと思っていた。その時期になると新聞の地方版に載る記事を毎年目にしている。しかし、季節はずれに登ったのは、私なりの違った目的があったから。即ち@生まれも育ちも若松、文学活動も若松を舞台とした芥川賞作家・火野葦平をもっと知るため。Aこの地に由縁のある河童伝説に興味があったこと。B日帰り登山の場合、マイカーで出かけるのが普通。だが、電車と渡船を乗り継ぎ、石峰山下山後はバスにも乗る行程に風情があるから。@Aは軽く触れる程度だったが、それなりの目的を達したことに満足している。 08.09.20 |
戸畑駅から突き当りの若戸渡船乗り場へ向かう | 渡船から若松を望む、左後方は高塔山 |
渡船を降り、当時のごんぞう(石炭荷役をする沖仲仕)小屋へ | 再び渡船乗り場(橋手前)へ向い、若松恵比寿神社へ |
若松恵比寿神社(おえべっさん)、4月と12月に恵比寿祭り | 白山神社、霊峰白山を御神体とする加賀白山神社の分社 |
高塔山中腹の五重塔、S20.08の空襲に移設 | 高塔山公園(頂上) |
河童封じの地蔵尊 背中に大きな釘を打たれたこの座り地蔵には、この地に 河童の話が伝えられている。馬を池の中に引きずり込もうとし て失敗した河童を庄屋が捕まえ、地蔵の背中に船釘を打ち込 んで、釘のある間はいたずらをしませんと河童に誓わせた話。 当地の作家、火野葦平は、この河童駒引伝説をもとにした 作品を昭和15年「九州文学」に『伝説』という題で発表し、 のちに単行本に収めるとき『石と釘』と改題した。今では葦平の 小説の方が有名になっている。 地蔵尊の正式名称は虚空蔵菩薩で、所有者は高塔山中腹 にある安養寺。この寺は葦平の菩提寺でもある。毎年7月に 若松で行われる夏祭りでは、河童にちなんだ「かっぱ祭り」が 行われている。 〈北九州市教育委員会〉 |
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河童封じの地蔵尊(高塔山公園) | |
高塔山公園芝生広場 | 若松市街と若戸大橋、高塔山頂上より |
火野葦平(1906〜1960) 芥川賞の「糞尿譚」をはじめ、兵隊三部作の「麦と兵隊」、 「土と兵隊」、「花と兵隊」や「花と龍」、「革命前後」などで知ら れているわが国を代表する作家。 この文学碑(左の写真)は、葦平文学の舞台となった若松の 市街地や洞海湾を見下ろす高塔山の中腹に昭和35年8月に 建立。碑文は、自作の四行詩「泥に汚れし背嚢に 挿す一輪の 菊の香や異国の道を行く兵の 眼にしむ空の青の色」の前二句 を刻んだもの。裏面には、葦平の文学の友である劉寒吉の追悼 の言葉が刻まれている。 〈北九州市教育委員会(抜粋)〉 「糞尿譚」:1937年(昭和12年)第6回芥川賞 「花と龍」:昭和27年から28年にかけて読売新聞に連載 映画化4度、テレ朝・日テレ・TBSでもドラマ化 「土と兵隊」を読書中の少年期、ラジオが報じる葦平の死去に 私は強いショックを受けた記憶が今も鮮明である。 後に「私は死にます。芥川龍之介とは違うかもしれないが、ある 漠然とした不安のために・・・」と書かれたノートが発見された。 |
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火野葦平文学碑 | |
石峰山頂前1Km地点 | 石峰山頂 |
藤ノ木白山神社 | 帰りの渡船上より若戸大橋戸畑側を写す |
下り藤ノ木、アスファルト道傍に咲く?? | 藤ノ木、2階の高さサボテン |
藤ノ木、道路傍の庭に咲く彼岸花、今日は彼岸の入り | 同、左 |