可也山・立石山

 “邪馬台国論争”に必ず登場する「魏志倭人伝」伊都国。すなわち、志摩町と福岡市の西端、前原市の北部にまたがる糸島半島の地。その大部分を占める志摩町の2座を登る。糸島半島は、伊都国の遺跡や日本三大玄武洞の芥屋大門、日本の渚百選および日本の夕日百選に選定された二見ヶ浦など景勝地も多い。2005年には九州大学伊都キャンパスが拓かれ、すでに六本松キャンパスは移転を完了している。志摩町は2010年1月1日、前原市・二丈町と合併して糸島市となることが決まっている。
 実は、標記2座を登るきっかけとなったのは、山友達から「立石山は、防府市の右田ヶ岳のミニ版みたいな岩山で景観が素晴らしい」とのメールをいただいた。さらに「低山なので物足りないでしょうから可也山と併せて登ってみたら・・・」と追伸があった。山友達の情報を早速実行。
 
 最初に登った可也山365mは、東西から望む山容が富士山に似ていることから糸島富士あるいは小富士とも呼ばれている。山腹に露出する花崗岩は江戸時代初期より城や寺院などの石造物に利用されてきた。中でも黒田長政が普請した日光東照宮大鳥居は特筆もの。現在は石切り場跡があるのみ。
 立石山210mは、山友達がミニ右田ヶ岳と称するに十分値する山。岩登りが楽しい。標高は低いが、海岸線が近くに見える景観は、右田ヶ岳に勝ると言えよう。山頂から5分、「景勝地立石山」の標識が掛けられているピークからは、東方向に可也山が展望でき、西を向けば野村望東尼(後述)が流された姫島がポッカリ浮かんでいる。  09.11.27
 
  可也山(かやさん)    9:50登山口駐車場〜10:20石切り場〜10:50山頂(休10)〜11:20展望台(休10)〜12:10駐車場
可也山(最後方) 立石山からの眺め 師吉公民館、道路を挟んで手前に駐車場
登山口付近、駐車場から4〜5分 最初はU字道
整備された登山道、歩幅が合わない 日光東照宮の大鳥居はこの山から切り出された
少し巻き道をして可也神社へ 可也山頂上
展望台、頂上から100mのところ 下り中間地点、写真よりもっと勾配が急
まもなく登山口 駐車場、前方は可也山  一服して立石山へ
  立 石 山    12:40登山口駐車場〜13:10山頂(休10)〜13:25景勝地(昼食45)〜(平磯海岸・休10)〜14:50駐車場
登山口がある廃止ホテル手前、海抜ゼロmスタート シダの間を縫っていく
最初の大岩 正面は山頂
植物が生えてない所は、ほとんど岩 岩を削って登りやすくしている
「この神社名は?」と訊ねると「立石神社にしときまひょう」 山頂、下り始めた家族、私達の質問に「子供は5人」
可也山を背に、標識は「景勝地立石山」 山頂と同じ標高 正面は山火事跡、その先は可也山
姫島、景勝地より眺望(野村望東尼が流された島)



    野村 望東尼
  

   野村 望東尼(もとに or ぼうとうに) 1806〜1867
  幕末の女流歌人、勤皇家。父親は福岡藩士。 夫が亡くなり
  剃髪して受戒。自分の山荘に勤皇の士をかくまったり密会の
  場所を提供したりする。彼女は,長州藩の高杉晋作にも便宜を
  はかった。1865年福岡藩で尊攘派弾圧の動きが強くなり孫の
  野村助作とともに自宅に幽閉された後、姫島に流された。
  翌年、高杉晋作の指揮により姫島から脱出、下関の勤皇豪商
  白石正一郎に匿われた。高杉晋作の臨終を看取っている。
  密会場所として提供した山荘は現存、敷地は、平尾公園として
  整備されている。
  
昼食後「景勝地立石山」からの下り始め ちょっと危ない箇所
ちょっと危ない箇所からの展望、左の白△は芥屋大門、右端の山は火山
岩下りが続くと道は右に曲がる、その後写真右に寄り道 写真左の右下、正面は芥屋大門、であと3分で登山終了
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