天花登山口、出発・帰着 錦鶏滝へ向かう  左・男滝、右・女滝
錦鶏女滝、男滝に比べ小さい 錦鶏男滝   高さ60m、幅15m
錦鶏男滝をあとにマイナーコースを登る マイナーコースのためか踏み跡がほとんどない
滝分岐、通常登山道に合流 通常登山道はよく整備されている
稜線分岐、高校山岳部のランニング訓練に出会う 稜線分岐と山頂間
山頂へと丸太段が続く 山頂には20名はいただろうか
山頂標識が素敵 正面後方のショウケン山に向かって稜線を板堂峠へ
山口大のワンゲル部の練成  男30Kg、女20Kgの荷 稜線沿にはアップダウンが5〜6箇所
稜線沿い休憩所からの眺め、錦鶏湖と山口市街 ショウケン分岐、右ショウケン山、手前に下る
板堂峠  「クマ注意」は意外、これより萩往環に入る 立派な道だが、貸切状態
歴史の道〔萩往環

往環は萩市から山口市を通って防府市(三田尻)まで
ほぼ直線状に結ぶ53Km(12里)の道をいう。
この道は江戸時代以前から部分的には利用されていたが、
江戸時代になり、毛利氏の萩築城と参勤交代制度の開始によって
萩と山陽道を結ぶ重要な道となった。幅約4m(2間)の道に
整備され、往環と呼ばれるようになった。
多くの人馬の往来に必要な設備として一理塚や御茶屋、
通行人取締にあたる口屋、往環の両側には往環松が
植えられていた。現在は、急な坂道や峠など
難所が多いため、廃道となった箇所が多くある
車道を渡り再び萩往環
右写真の説明 一の坂一里塚跡、萩〜防府(三田尻)中間点
一の坂御建場(六軒茶屋)跡 同左、藩主の駕籠をここに下ろした
歴史に触れた山行はあと少し この地域の往環はここまで、登山口(出発地点)と合流
ヤマジノホトトギス ギボウシ
 登山後、山口市内の瑠璃光寺に立ち寄る  
    〔瑠璃光寺〕
   室町時代の中期、周防国(現在の山口市、防府市など)を
  本拠とする守護大名・大内家の筆頭家老、陶(すえ)弘房の
  菩提寺。山口市仁保に創建されたが、この地にあった大内義弘
  の菩提寺・香積寺が元禄時代、萩に移りその跡地(現在地)に
  移された。曹洞宗、本尊は薬師如来。



     国宝
〔瑠璃光寺五重塔〕
   1442年、大内義弘を弔うために、その弟盛見がこの地にあった
  香積寺境内に建立。室町時代中期における優れた建築の一つで
  大内氏盛隆の文化を示す遺構。高さは31m、室町時代のものとし
  ては装飾が少ない雄健なもの。後に瑠璃光寺が移ってきたので、
  「瑠璃光寺五重塔」と呼ばれている。
    
保寧山・瑠璃光寺正門
瑠璃光寺本堂 国宝・瑠璃光寺五重塔
    〔若山牧水歌碑〕左の写真
   
   
はつ夏の 山のなかなる ふる寺の
   古塔のもとに 立てる旅人


  この歌は明治40年6月、牧水が21歳のとき、東京から郷里の
  宮崎県に帰省の途中、この五重塔を訪れて詠んだもの。この時
  同時に

   山静けし 山のなかなる ふる寺の
    古りし塔みて 胸ほのに鳴る


  の歌もつくっている。牧水は旅と酒を愛した遍歴の歌人とい
  われ明治、大正、昭和の三代にわたり活躍した。歌碑の書は
  牧水夫人の喜代子の筆である。  
瑠璃光寺境内にある若山牧水詩碑

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