その3
安達太良山 10/07

   山頂部分が乳房の形をしているので、乳房山の別名
  がある。 鉄(くろがね)山、箕輪山など安達太良連峰の
  主峰。磐梯朝日国立公園、那須火山帯。鉄山西側には
  1900年に大規模な爆発があった沼ノ平火口が広がる。
  山の雄大さにもかかわらず、ロープウェイに乗れば、半
  日で往復できる手軽さ。紅葉の美しさは名だたるが、天
  候が悪く、うまく撮れなかった。。

   私にとっては「智恵子抄」ゆかりの山なので3座ツアー
  のうちメインなる山。存分に楽しみたいところだが、ツアー
  日程により13時までに下山しなければならない。当然、
  標高1350mの山上駅までロープウェイに機乗。標高差
  あと350mの登りとなる。  まずは「この上の空がほん
  との空です」の標柱がある展望台へ。安達太良山の乳首
  部分が煙ったガスにかすかに浮かんでいる。ほんとの
  空は、残念ながら灰色だった。紅葉を愛でながら1時間
  20分、乳首の先端に立つ。先端を下り、ガイドさんの
  好意による計画にない沼ノ平火口跡まで足を延ばす。
    08:40 山上駅〜08:50 展望台(休10)〜10:20 安達太良山頂(休20)
    10:50 沼ノ平火口跡(休10)〜11:10 安達太良山頂下(昼食15)
    12:20 あだたらエキスプレス山上駅
ロープウェイ山麓駅、機乗 ロープウェイを降り展望台へ向かう
展望台、ほんとの空はガスって見えない 安達太良山頂(左、乳首) 右端は鉄山、ガスが切れた一瞬
展望台すなわち薬師岳 展望台、薬師如来を祀っている
展望台をあとに安達太良山に向かう 小休止、紅葉を眺める
天候が悪いので見た目に紅葉が冴えない 山頂の乳首が見えてきた
ここにザックをデポし山頂へ 安達太良山山頂
山頂、S14年建立の八紘一宇(太平洋戦争期の標語) 山頂から南側に見る紅葉の帯
沼ノ平火口跡へ向かう 沼ノ平火口跡
安達太良山頂下に戻っている 安達太良山頂下で昼食後ロープウェイ山上駅へと下る
ロープウェイ山上駅に到着、駅舎リホーム中 まもなく正面の山麓駅に、あとはバスと航空機
  「智恵子抄」と 安達太良山
 
    
 樹下の二人
 
   
あれが阿多多羅山(あたたらやま)
   あの光るのが阿武隈川。

   
かうやつて言葉すくなに座っていると、
   うつとりねむるやうな頭の中に、
   ただ遠い世の松風ばかりがうすみどりに
   吹き渡ります。
   この大きな冬のはじめの野山の中に、
   あなたと二人静かに燃えて
   手を組んでいるよろこびを、
   下を見ているあの白い雲にかくすのは
   止しませう。
  
    中略

   あれが阿多多羅山(あたたらやま)
   あの光るのが阿武隈川。
                

     あどけない話

    
智恵子は東京に空がないといふ、
    ほんとの空が見たいといふ。

    
私は驚いて空を見る。
    桜若葉の間に在るのは、
    切っても切れない
    むかしなじみのきれいな空だ。
    どんよりけむる地平のぼかしは
    うすもも色の朝のしめりだ。
    智恵子は遠くをみながら言ふ
    阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に
    毎日出ている青い空が
    智恵子のほんとの空だといふ。
    あどけない空の話である。
高村光太郎 智恵子
 
 
詩人・彫刻家の高村光太郎と
 智恵子の結婚は大正3年(1914)
 
 智恵子は、安達太良山がある
 福島県二本松町(市)で出生。
 昭和6年、精神に変調をきたす。
  
 「智恵子抄」は光太郎が智恵子と
 のことを書いた詩集、短歌、散文 
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