Photo れんそう (61~80)

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80 立つ鳥や 退院間近の暇つぶし
 妙な男がいる。立ち振る舞いも尋常ではないが、胸の奥に妙な物体を飼っていると言っていた。7年前の話である。「この種の腫瘍は進行が遅い」との医者の弁と、厳しい登山後も何ら異常が認められないので経過観察を行うことにしたとのこと。本音は切除による胸骨を開く苦しさを避けたに違いない。昨年までのCT検査では全く変化がなかったそうだ。ところが、今年の検査で妙な物体はソフトボール大に成長していたので手術を決心せざるを得なかったとのこと。妙な物体は胸腺腫だった。手術後3日間は痛さでろくに眠れなかったそうだが、痛さが和らぐと退屈しのぎで妙な事をやっていた。退院に際し妙な男は『立つ鳥跡を濁さず』どころか、ふざけた写真を送ってきたのだ。退屈は分かるが・・・。
2015.09月撮影、北九州市 2015.09.28 記  

 【胸腺および胸腺腫】
 胸腺は胸骨の裏側、心臓の上前部にあり幼児期から小児期にかけて身体の免疫を担う働きをする。成長するに従って徐々に小さくなる。成人になると退化して脂肪組織となり、その働きを終える。
 胸腺腫は成人になって退化した胸腺の細胞から発生する腫瘍。増殖のスピードは遅いが、進行すると肺、心臓、大血管などに広がっていくこともあり、悪性の腫瘍として扱われる。(Wikipediaなど参照) 

79 コロナ浴ぶ 池に浸れり リトマス紙 
 乗鞍岳中腹より不消ヶ池と山上にあるコロナ観測所を望む。当岳は23座あり、最標高は3026mの剣ヶ峰。コロナ観測所は摩利支天岳2872mの山頂。筆者は雪渓が池の水に浸って変色する様をリトマス試験紙に例えた。コロナとは、太陽の周りに見える自由電子散乱光のこと。何万年もの間、コロナを浴び続けた池の水は酸性なのかアルカリ性なのか。いいえ、SUN性だ。「何性でもいいから勝手にしろ、白いリトマス紙は見たことない」と、言われそう。
 1949年、国立天文台が設置したコロナ観測所は2010年閉鎖、現在は自然科学研究機構となっている。
  2015.08月撮影、乗鞍岳   2015.08.21  記

78 闊歩する 草莽崛起の奇兵隊   
 長州藩の支藩・長府毛利藩、その中にあって最も城下町の面影を残す古江小路。この小路(写真)は毛利邸前の道路から直角に延びている。高杉晋作(1839~1867)が挙兵した功山寺まで徒歩5分。
 吉田松陰が唱えた草莽崛起(そうもうくっき:一般大衆が立ち上がること)に応え高杉晋作は、農民などから兵を集い騎兵隊を結成した。功山寺を出発した晋作率いる騎兵隊が大股で堂々と歩く様を筆者は連想したのだ。それは、倒幕に向けてモチベーションが次第に高まっていた。
2015.06月撮影、下関市長府 2015.07.15記


77
 
  つがいかな?
  Two虫と読み
  仲直り

   
 共に登山が趣味の夫婦がいた。しかし、たびたび言い争いをする。今朝も何かあったのだろう険悪な空気が漂っていた。 山頂に着いた時、同行の一人が「ツームシって何?」と夫に問いかける。「睦ましい虫がTwoだよ」と応え「自分たちは虫より落ちる」と夫妻は気づき仲直り。
 ツームシはアイヌ語らしいが、筆者にはその意味が解らない。1064mだからテンムシの方が良さそう。
2015.05.29記 2015.05月撮影、熊本県
 

76 夫婦三態 修復、順調、逃がさんぞ   
 ちょっと面白いもの、変ったものがあるとシャッターを押すのが筆者の癖。樹木も例外ではない。浅間山から岳滅鬼山を縦走中、連続して5分おきに目にしたのがこの樹木。例によって独善的に連想すると「夫婦三態」になった。画像〈左〉:何度も離婚の危機があったものの時間の経過とともに、少々歪だが溶接したように固まっている。もう離婚の心配はなさそう。画像〈中〉:理想的な夫婦。しかし、周りからそのように見えても定年離婚なんてこともあり得る。捨てられるのは夫の方だ。夫諸君、気をつけましょう。画像〈右〉:ふがいない夫に愛相が尽きている妻。逃げ出そうにも子供に触手を伸ばし巻きついている夫。子はカスガイ。あきらめた妻、卑怯な夫。
2015.03月撮影、福岡県浅間山 2015.04.05 記

75 喜びも悲しみも 過ぎ去りし今   
 写真は大分県日田市釈迦岳山頂の気象レーダー塔。山奥にあり空模様を観察するレーダー塔に対して、これとは真逆の海を照らす灯台を連想した。引き続き連想が働く。灯台守夫妻の喜びと悲しみを唄った若山彰の『喜びも悲しみも幾歳月』だった。同名映画の主題歌で映画は1957年公開、木下恵介監督作品。筆者は映画を観ていないが、唄はよく耳にしたし、最近でも山友達の先輩が唄っていた。この記事を書くにあたって、映画の粗筋を読むと、監督自らの作詞だけあって、曲は映画のストーリーが如実に集約されている。だが、灯台守の喜怒哀楽は過ぎ去りし昔話となった。2006年、長崎県五島市女島灯台が自動化されたのを最後に、全国すべての灯台が無人となっている。
 2015.03月撮影、釈迦岳 2015.03.26 記

74  優しさは FCVも かなわない  
 つい先日、小石原焼がテレビ放送されていた時、その流れを汲む小鹿田焼を思い出した。小石原焼と唯一異なるのは陶土を砕く際の唐臼(写真)。それは江戸時代からの伝統が受け継がれていて、環境にやさしい。ギィーゴットンの音色は日本の音風景100選にも選ばれている。小鹿焼には世界的陶芸家バーナードリーチが昭和29年、1ヶ月にわたり滞在した。このことにより更に名声が高まったそうだ。
 小石原焼のテレビ放送と時期を同じくして、トヨタの『環境にやさしい』燃料電池車(FCV)ミライの発売が開始された。しかし、この車の燃料となる水素は、現在では化石燃料から抽出され、その過程において電力を使用する。圧縮にも電力が必要。ともあれ、エコ最先端車の地位は揺るぎそうもない。故に、この車の普及を促進して欲しい。
 現在主流となっている電動臼、電動ろくろ、ガス窯による作陶はエネルギー使用量が多く環境にやさしくないが、便利で能率的。一方、小鹿田焼はそれらに背を向け唐臼、蹴ろくろ、化石燃料を使用せずマキを燃す登り窯と、頑なに江戸期の伝統を継承している。小鹿田焼とエコ最先端の燃料電池車をエコ比較すれば、小鹿焼を数倍上にランクしたい。だが、そもそも作陶と車のエコ比較は、明らかに無理がある。筆者は無理を承知で句を詠んでみた。
2013.04月撮影、日田市小鹿田地区 2015.01.13 記
 

73 「いい顔だ」 独りよがりの 鏡かな   
 北九州市小倉南区鱒淵ダム。堰堤に連なる車道に車を止め、ここから福智山に十数度登った。その際、湖面に続く景色を必ず撮っているが、この写真が一番のお気に入り。特に、湖面に映える山と雲と空のブルーが素敵。それは、季節・天候・時刻の条件が揃っていたからだ。
 人の顔もそれぞれの条件(気持や体調)によって鏡に写る顔も異なる筈。喜・怒・哀・楽は喜・怒・哀・楽を表し、疲れた時は疲れたように。筆者は、とりわけ嬉しい出来事があった時に鏡を見て、いい顔だと自分を褒めた。シミ、ソバカス、シワ多く、薄い頭髪の持ち主だが、たまには自惚れもよしとしよう。
2014.09月撮影、鱒淵ダム 2014.09.26 記

72 我が胸の カビした模様は 恋の傷 
 写真はカンアオイの一種ツクシアオイ。これをカメラに収めた時、肺のレントゲン写真を連想した。白い斑紋は肺の病巣。もっとも、肺の病巣が白く写るのか黒く写るのか筆者にはまったく解らない。いい加減な連想である。
 いい加減な連想に加え、病巣は縁起が悪い。再び連想すると、“ハート”が浮かんだ。若かりし頃の恋の傷は長い年月の経過とともにカビが生えている。実は平凡に生きてきた小生に、このような模様が付くほどの激しい恋の記憶はない。「ああ、燃えるような恋がしたかった」と、遅かりし胸の内。
2014.08月撮影、福岡県・三郡山  2014.09.26 記

71 じいじいの 孫と背くらべ 頬ゆるむ 
 ぎぼし(ぎぼうしゅ)とギボウシ(花)はともに擬宝珠と書く。ぎぼしは、橋の欄干や神社寺院の階段や廻縁の柱頭に取付られた装飾。日本武道館の屋根頂部にも設けられている。用語の由来は、仏教からきた説とネギ坊主から付けられた説がある。一方、ギボウシは花の蕾がぎぼし(ぎぼうしゅ)に似ていることから、その名が付けられ、読みが転訛したもの。
 写真を撮った際、擬宝珠に擬宝珠が咲いている様が面白く、まるで血縁関係を想わせた。数日後、友人と会う。「盆休みで息子一家が帰省した時、急に大きくなった孫と背比べをすると俺を上回っていて、俺は孫の成長を微笑ましく感じた」友人の孫自慢を聞き、ぎぼしを友人に、スマートなイケメン風情のギボウシを孫に喩えた句が浮かんだ。少々無理強いの連想だったが・・・。
2014.08月撮影、英彦山 2014.08.28 記

 70 大空を喰らいまくって千畳カール 
 中央アルプス木曽駒ヶ岳2956mに通じるロープウェイ・千畳敷駅を降りると眼の前に千畳敷カールが広がる。このカールは2万年前の氷河時代の遺跡で上部の岩肌が氷で削られ、その岩石が氷河によって運ばれモレーン(堆石)となった、お椀形の地形。カールにはキンバイ、キンポウゲ、クロユリ、チングルマ、ツガザクラなど多様な高山植物が咲き乱れ、正に花の百名山だ。
 カールができたのは、岩峰を覆い硬く凍った氷が大空から降り注ぐ陽光を喰らって(浴びて)緩んだため。雪解けを待って一斉に咲き始める高山植物も大空の陽光を喰らっている。写真の撮り方が悪く花の数が少なく見えるが、カールを歩き身近に見ると花の多さと美しさに感嘆する。
2014.08月撮影、木曽駒千畳敷カール 2014.08.25 記

 69 美しの 開拓苦労 偲ばるる  
 長野県松本市、上田市、長和町に跨る日本百名山・美ヶ原。最標高の王ヶ頭2034mからは、3000m級の山が48座、日本百名山が41座見渡すことができる高く、広く、美しい山。写真の草原は、標高2000mに広がる牛の放牧場、右上の塔は美しの塔。
 美ヶ原高原は、濃い霧が発生するため遭難が多発した。その対策として霧鐘を備えた高さ6mの「美しの塔」が1954年に建設された。塔周りは鉄平石、塔内は避難できるスペースがある。塔建設に際して、当時はビーナスライン(1981年開通)など車道がなく、資材は麓の三城から背負い揚げ、コンクリートの水は山本小屋から天秤棒で担ぎ運搬した。塔建設よりかなり前の時代、山本俊一翁は200本の道標を設置するなど登山道を開拓する。翁は山本小屋の創始者でもある。俊一翁の功績を称え、塔の北側にはブロンズ製のレリーフが埋め込まれている。開拓者の労苦として、美しの塔建設従事者と俊一翁を挙げたが、今日の美ヶ原があるのは、まだまだ多くの人が携わっているに相違ない。
2014.06月撮影、美ヶ原   2014.07.30 記


68
 
  たわむれに
  筆ふきたるも
  下手は下手


 写真はフデフキソウ(ミズヒキ)、世界遺産・高野山町石道をウォー キング中に撮影。書道に優れた三筆は時代によりそれぞれ挙げられているが、単に三筆と称されたのは平安時代初期の空海、橘逸勢、嵯峨天皇である。「お大師さん(空海)がこの葉で筆を拭ったのでフデフキソウ」とガイドの説明。このことを思い出し、空海にあやかっても字が上手くなるとは思わなかったが、面白半分に書いては拭うを3度繰り返してみた。やはり醜くく下手は下手。もっとも筆ペンでは葉の模様すらままならない。
2014.06.20 記
2014.05月撮影、和歌山県九度山町

 

67 白無垢の 内ふっくら 無垢でなし 
 白無垢は、けがれのないことを意味し室町時代より神聖な色として花嫁衣装などに用いられていた。時代劇でよく見るのは切腹のシーン。現在でも白一色の花嫁姿は式プログラムの一つ。それは清純無垢を表し、花嫁の『どんな色にも染まります』との思い。しかし、染まるのは式以降であって、内ふっくらと子種を宿している花嫁は既に無垢ではない。と、花婿に嫉妬する石部金吉がいたが、現在では少なからずあることで「むくでなし」は、決して「ろくでなし」ではないと思っている。
2014.04月撮影、北九州市 2014.04.25 記

66 竜馬どんよ おはんの予見にぁたまがった 
 写真は長崎街道ウォーク、北九州市役所前の勝山公園から小屋瀬宿までの27Km。長崎街道は江戸時代、海外との交易を唯一許された長崎に至る道。坂本龍馬も西郷隆盛も往来している。起点は小倉城下・常盤橋(写真)。1995年、江戸時代と同じ木の橋に架け替えられた。 没後すぐ天の川で落ち合った坂本龍馬と西郷隆盛は地球上空にさしかかっている。宇宙時間は一瞬でも、ほぼ150年が経過していた。二人は常盤橋と周辺のビルを見下ろしている。西郷は龍馬に向って「おはんが幕末に予見した通りでごあす。おはんの先望眼にぁほんのこてたまがった」対して龍馬は「やき、薩長同盟の時おまんに言うたろう。新しい日本をつくりゃ異国との通商が進んで、セメントででけた高いビルジングが建つぜよ、と」 龍馬は勝海舟や佐久間象山に学び、長崎滞在中は外国人と交流していたので西洋文化に明るかったのだ。 明るくないのは筆者の薩摩弁と土佐弁、勘弁しちゃり。
2014.03月撮影、北九州市 2014.04.05 記 

65 あの頃は 麦飯芋飯 塩クジラ   
 あの頃とは、戦中戦後の食糧難時代。その時期、筆者は母乳で育っていた。だが、乳呑児が小学生となり給食に出された脱脂粉乳の不味さは覚えている。2ヶ月前の登山中「くじら岩」と名付けられた岩を撮影した時、昔よく食べた『塩くじら』を連想した。商業捕鯨は禁止されておらず、安価な鯨肉は戦前はもちろん随分昔から食べられていて、動物性タンパク質を補っていたと聞く。 最近TVドラマで戦中の不足した食材を工夫するシーンが何度かあった。戦中戦後の食糧に関して先輩から訊いた話や小説などから得た知識をもとに『塩くじら』の続きを連想したのが上句。麦飯や芋飯は少ない配給米の嵩を上げるためだった。しかし、あの頃の食物は塩分の多さは例外として立派な健康食。貧しくとも健康であったし、メタボリックな人に出合うことは稀であった。ダイエットやサプリメントの言葉も一般的には存在しなかった。 ああ、塩くじらで麦飯や芋飯を食べたい。
2014.01.月撮影、福智山・くじら岩 2014.03.07 記 

64 鼻茸を切るか切らぬか 屁こき虫   
 少し昔、登山が趣味の小生は山小屋のトイレ臭に吐き気がしていた。最近ではバイオトイレなど改善された箇所も多いが、そうでないトイレでも何故か臭気が減小しているし、臭気を放つ屁こき虫の臭いも緩和されてきた。
 風邪をひいた時、鼻詰まりが長引くようになったため、耳鼻咽喉科を受診すると鼻腔に鼻茸(ポリープ)生えていた。「日常生活上差し支えないのならば、当面切らなくてもよいが、切れば長引く鼻詰まりはなくなる」と、ドクター。また、吸気がスムーズになり、香りも敏感になるでしょうと言う。あっそうか、鼻茸により臭いの鈍化があったのだ、加齢現象も否定できないが。香りは歓迎だが悪臭は御免こうむる。鼻茸を切れば鼻詰まりは解消するが、臭気も復活しそうだ。手術に1週間の入院が必要。これも嫌だ。 切るか切らぬか・・・。
 屁こき虫はカメムシの俗称。敵の襲撃を受けた際、悪臭を放って逃げる。悪臭植物の代名詞的存在は、ヘクソカズラ。屁に糞が付けば、その臭いは推して知るべし。平地のあらゆる場所に生えている。
 Photo五七五は写真を見て作句するのが原則。この作品は写真を後付けしたため駄作。 2014..02.10 記

63 千代子逝 セピア色した 白秋
 島倉千代子さん(あえて敬称)が先月(2013.11)8日、生涯を閉じた。同情して余りある波瀾。まさに「人生いろいろ」 そして、死の直前まで新曲を歌った執念。彼女の「からたち日記」が筆者の一番好きな曲。TVの訃報映像とともに、この曲が流された。その際、脳裡に北原白秋の「からたちの花」の一節が浮かんできた。『 からたちも秋は実るよ、まろいまろい、金の玉だよ 』 少年の日に読んだ白秋詩集を思い出し半世紀を経て色あせたセピア色のページを捲る。

 カラタチは春に五弁の白い花を咲かせる。同じ柑橘類で同じ形のミカンの花は明るい感じだが、カラタチのそれは愁いがある。秋に実るピンポン大の実は不味く食用にはならない。枝に鋭い刺があるため生垣に利用されていたが、現在ではほとんど見れなくなった。
2010.01月撮影、北九州市 2013.12.13 記

62 固まりて 火の玉どこへ 冬装備   
 宇部市常盤公園で開催されている第25回UBEビエンナーレ【現代日本彫刻展】の入選作品。火の玉は動植物が腐敗し、メタンガスが発生して自然発火したものらしい。または、人間は暗い夜間、遠近感に乏しく遠くの明かりが近くに見えた時、それを誤認した場合など諸説がある。しかし、筆者はそんな現実的な考え方はしたくない。火の玉は祖先だ。暑い夜にやってきて我々を観察していたが、気温の低下とともに固まり変色し脚を伸ばす。墓場など各所に散っていた彼らはグループ毎に集まり、冬を越すために何処かへ移動する。これが筆者の連想。対して、作品のタイトルは『石の華』 はからずも芸術家より凡人筆者の方が突飛な考えだった。
2013.11.月撮影、宇部市常盤公園 2013.11.22 記

61 秋深し 病気をさぐる 芸術家   
 宇部市常盤公園で開催されている第25回UBEビエンナーレ【現代日本彫刻展】の入選作品。筆者はこの作品を見た瞬間、コンピューター断層撮影(CT)を連想した。説明するまでもないが、身体を輪切り撮影して病気を診断する手法。晩秋だから物思いに更ける季節、作者は何を診断したのだろうか。『それは、あなたが考えなさい』と作者が言っているように思えた。タイトルは『Collection』 筆者は凡人、どうしてコレクションなのか芸術家の頭部こそCT診断してみたいものだ。
2013.11月撮影、宇部市常盤公園 2013.11.22 記

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