Photo 五七五(21〜40)




40
   老いてなお

   春爛漫の

   時期
(とき)を待つ

  足立山の麓、安部山公園へと
  花見客が登る桜並木。
  虎視眈々と開花時期を
  うかがっている老木。
  樹齢は古希前後だろうか?

  筆者は、この坂の下
  並木が国道10号線と交じわる
  ところで育った。
  だから老木に親しみを覚える。

  筆者よりやや先輩と思える
  老木の開花意欲に比べて
  筆者は何たるざまだ。
  このまま萎んでよいのか。
  老木に勝負の時期を訊いてみる。

  2012.03.16 記 
  2012.03月撮影、北九州市小倉南区     



39
   吾輩も

   往生したよ

   タイ洪水

  吾輩は猫である。
  夏目漱石「吾輩は猫である」の
  猫でなく、生粋のバンコクっ子。
  涼しい乾季での吾輩は
  室外機上が定位置となった。

  昨年7月に発生し12月中旬に
  至る長期間のタイ洪水は
  特にアユタヤがひどくホンダなど
  工場群が3、4mの水に浸かった。

  チャオプラヤー川沿いにある
  吾輩の住家に洪水が押し寄せ
  たのは11月中旬から。
  餌にもありつけなかったし
  デイトもダメだったんだ。

  2012.02.16 記 
  2012.01月、バンコク在住サイコロさん撮影          

38 主なき 汚染家屋も 年明くる    2012.01.07 記
 死者、行方不明者が19000名超に及んだ東日本大震災は、目を覆うばかりであった。三陸沖を震源とするM9の地震に追い打ちをかけた津波が各地を飲み込む。その悲惨さは列記するまでもなく、誰しも生涯忘れることはないだろう。
 この地震(津波)にともなう東電福島第一原発事故による放射能汚染がさらに被害を大きくしている。ベクレルとかシーベルトとか震災まで聞かれなかった単位(今でもよく理解できない)の数値が高い地域は、期限が定まらない避難を余儀なくされている。家屋が損傷していないにもかかわらず、残る人生を再び自宅に居住しようにも不可能な人が多くいるに違いない。気の毒な事態だ。
 セミの抜け殻は一時の住処、後は子孫を残す役目を果たし生涯を終える。人間に環境を阻害されることもあるが、人間よりもはるかに幸せなのかも知れない。
2012.01月撮影、我が小庭

37 神代から アダムとイブの "欲"永遠  11.12.27 記
 写真は、国東半島猪群山頂付近のストーンサークル(環状列石)にある陰陽石。陰陽石は性信仰にもとづき、男女の性器を形どった石。一般的には夫婦石とも呼ばれ「子宝の神」としても信仰されている。けれども、このサークルのそれは、説明看板を読まなければ陰陽石だとは思いつかない。サークル内は神域であって、近世まで女人の立入を禁じていたそうだ。
 かつて宮崎県小林市の陰陽石を見て驚いた記憶がある。一目見て正にそのものであった。野口雨情は「浜の瀬川には 二つの奇石 人に言うなよ 語るなよ」と、詠んでいる。   2011.12月撮影、大分県豊後高田市

36 秋深し なんじゃもんじゃと 迷ひける  2011.11.24 記
 ここで言う鉄板焼きは、小麦粉を水で溶き具材とともに焼くもので、もんじゃ焼き、お好み焼き、韓国料理のチヂミ、その他。もんじゃ焼きは、東京下町の伝統的な食べ物。お好み焼きには、生地に具材を混ぜて焼く大阪風と生地と生地の間に焼きそばなどを挟む広島風に大別できる。九州育ちの筆者は、もんじゃ焼きとチヂミには馴染みが薄く、昭和の後半まで、食べたことがなかった。普及したのは近年であろう。鉄板焼きを食べるのは、いつも大阪風のお好み焼きだ。今も一番美味いと思っている。「もんじゃ焼き」の看板が掲げられている店でも筆者在住の北九州では、だいたいお好み焼きのメニューがある。
 寒くなったので暖くなる物でも食べようと眼についたもんじゃ焼き店に入る。壁に書かれたメニューをみて「なん(何)じゃ、もんじゃ」とつぶやく。血の巡りが悪くなった筆者の頭脳では、選択に逡巡する。つまるところ、作り慣れ食べ慣れた大阪風お好み焼きをオーダーしたのだ。晩秋は、気持がブレる時節である。   2011.11月撮影、小倉北区

35 うっとり中 説教したってはじまらねー  2011.10.31 記
 九重・三俣山の大鍋(火口跡)、ここの紅葉はドーダンツツジ。他の樹木より2週間程度早く、東北地方とほぼ同時期に色づく。すり鉢状の斜面に染まるため、麓から2時間超の行程を経ないと見ることはできない。それだけに感激はひとしお。「すごい!素晴らしい!」「あら、岩おじさんが何か怒っているよ」と、登山者。  2011.10月撮影、三俣山

34 野の花の 厳しさ耐えた 美しさ   2011.10.22 記
 特に春と秋、野草の花観賞を目的とした登山者は少なくない。筆者もその一人である。風雪に耐えて咲く野草の美しさ、愛らしさ以外にも感傷に浸ることがある。やがて花は萎び枯れていく。綿毛となって風をたよりに種子をまき散らす花や宿根草、いずれもまた次の年に登山者の目を楽しませる。

 写真は「行橋・別府100キロウォーク」の20Km地点、油の乗り切った絶頂期である。ウォーカーを野の花にたとえならば、これより次第に萎び枯れ始めてくる。制限時間(26時間)内の完歩者は参加者の3分の2。夜を徹して歩いた身体は、へたへたに疲れ、まるで枯れかけた花のよう。それでも、よろけながらゴールする笑顔が美しく、安堵感と達成感に溢れていた。完歩者もリタイア組も、その多くは「また参加したい」と、次年も花を咲かせようとする意欲が清々しい。   2011.10月撮影、福岡県築城町椎田

33 空澄みて 宇宙のはなしを 覗きたし   11.09.20 記
 地球大気の悪影響を避けるため、大型(専門的な)天体望遠鏡は、高い山に設置するのが一般的。国立天文台がハワイ・マウナケア山に建設したすばる望遠鏡がそのよい例。宇宙観測に限ったことではないが、望遠鏡を使用するとき、雲や雨、大気汚染が障害となる。

 星の成り立ちやブラックホールなど物理的なことよりも、星をテーマにした物語を想いたい。七夕の日に彦星と織姫星が1年に一度の逢瀬や、「今は昔、竹取の翁といふ者あり」で始まるかぐや姫登場の物語は魅惑的。物語の続きを天体観測する技術者はいないだろうが、筆者はロマンチックに浸っていた。

 二つの球形が天体望遠鏡に見えたのは、つかの間。実は市井に燃料を供給するガスホルダー。田んぼや民家に近接した場所に天体望遠鏡がある筈がないのだ。現実に戻ると、はなはだ面白くない。 11.09月撮影、福岡市今宿

32 ウエストサイド物語の 我が青春  11.08.30 記
 「ウエストサイド物語」は、1961年公開のアメリカ映画。イタリア系のジェット団とプエルトリコ系のシャーク団の抗争と、その中で芽生えた愛と悲劇を描いたミュージカル。シェークスピアの「ロミオとジュリエット」の構図をウエストサイドのスラム街で展開させたストーリー。唄と踊りに若き筆者は耳目を凝らしたものだ。他の曲は覚えがないが、「トゥナイト」は今でも時々耳にする。

 およそ45年前、写真は3人だが友人5名は、特に筆者はジョージチャキリス(主演女優・ナタリーウッドの兄役)を意識して登山口で青春の振舞い。この時代、夏の暑さに滅入ることはなく、むしろ暑さに挑戦しようとギンギラギンの陽光を浴びながらパフォーマンスさえ行っている。 今年は節電の夏、クーラーの設定温度を上げるとか・・・・・・・嗚呼、青春時代の元気が欲しい。   昭和40年頃の夏撮影 由布岳登山口

31 暑さ避け 3000メートル 泳ぎ来る  11.08.14 記
 地球温暖化の影響なのか、記録的な暑さが毎年やってくる。今夏もその例に洩れず各地で熱中症が発生。人間も暑いが、動物も同じこと。人間は自らが二酸化炭素を大気中に振り撒き温暖化せしめた、謂わば自業自得。しかし、動物にとっては迷惑この上ない話。暑さを避けて標高が高い山に登るのは人間だけの特権ではない。イルカとて涼しさを求めて高地に移動したい心情はよく分かる。東日本大震災により原子力発電所の停止あるいは定期修理明けの原発が運転できず、電力不足に陥った。このため冷房温度の高め設定など節電の呼びかけ。登山は大なる節電だ。
 オイルショックの頃は、エネルギー費用を削減する省エネ、地球温暖化が問題となり省エネが最近エコ、今年はエコに輪を掛けた節電。呼び名は変われど我々一般人にとって、やることはそんなに変わらない。。  11.08月撮影 北アルプス燕岳イルカ岩
30 仕分けして さい銭よりも 義援金  11.07.14 記
 2011年3月11日、東日本大震災。6月26日、平泉世界文化遺産登録。岩手県にとって悲惨極まりないことと嬉しいことが重なった年となった。筆者たちは、岩手県100名山3座登山を計画、在住地の九州から岩手県に入った。初日の宿は花巻市、3時間の余裕があるので、東北自動車道を降り5日前に世界遺産に登録されたばかりの中尊寺に立ち寄る予定が組まれていた。
 「お参りの方が急に多くなりました」と中尊寺関係者。路傍に建つ芭蕉像に立ち止まり、金色堂へ。金色の阿弥陀如来像を前にした時、さい銭箱と義援金箱が並べて置かれていた。義援金箱は想定外。しがない筆者の予算は、みすぼらしい。ささやかだが、住居地で義援金に協力したものの見過ごすわけにはいかない。はてどうしたものか、みすぼらしい金額の仕分けに迷った。蓮舫議員に訊いてみたいもの。さい銭は、登山の安全と家族の幸せを祈願する個人的なもの。義援金は、困った人への支援。支援と言うより自己満足に過ぎないが、義援金に比重を傾けることにした。900年前に金色堂を建立した藤原清衡公が微笑んでいる。  11.07月撮影 東北自動車道平泉前沢IC出口

29
  退職後

  羽目外したし

  カゴの鳥

   40年余の勤めを終え
   年金生活となっている。
   贅沢に散財したいと
   思っても、そうは問屋が
   卸さない。まるでカゴの鳥。
   “年金時代の真ん中は
   ままにならないことばかり”

   3.11大震災被災者は
   カゴ鳥どころではない。
   「カゴの鳥は幸せものと
   思いなさい」と天の声。

  11.05.30記 11.05月撮影、秋吉台長者ヶ森
                  写真は
カゴノキ           

28 偶然の逸品は 名人にあらず  2011.05.25
 名人とは、辞書によると「技・芸において名のある人、名手」「その道において、腕前の優れた人」。何十年も腕を磨いてきた結果であって、"運"では決してなれない。

 パソコンを購入したとき、ほとんどのパソコンにはトランプゲームがインストールされている。中でも筆者は、ソリティアとフリーセルでよく行う。ソリティアは配牌(麻雀用語・配られたカード)と自摸(同・引いたカード)による運が左右し、手順が正しくても勝率はイチローの打率より劣る。考える要素も少ない。その点フリーセルは、手順さえ間違えなければ必ず勝ち(あがる)となるし、考える要素がかなりある。成績表をクリックするとプレイ回数、勝ち回数、勝率、連勝連敗記録が表示されている。筆者はパソコンを開いたとき、ボケた頭脳を修正しようとフリーセルを行う。手順を読むことで頭の体操になるのだ。ただし、筆者に長手順を読む能力はなく、ヘボ将棋程度である。

 写真はフリーセル。長手数後の配列。右列のハート3をその左列のスペード10に重ねれば、残りのカード49枚が右上欄へと舞い上がり勝ち(あがり)となる。筆者は、成績表にない残りカード(右下の小さい数字)も重視、手数が伸びてもあがる時の残りカードを多くすることに価値を見出している。写真の残り49枚は極めて稀な現象。それは、配牌の運そのものに他ならない。しかし、残りカード49枚が舞い上がったとき、筆者は“フリーセルの名人”に到達したと欣喜雀躍。偶然訪れた配牌の運を実力だと勘違いする滑稽さに笑っちゃう。    2011.05月撮影 マイパソコン

27 要するに 季節は問はず 出店かな  11.04.18記
 桜花を愛でるのに、どうして桜餅ではなくて梅ヶ枝餅なのか??? 桜餅は、花見には上品すぎるのかも知れないし、蒸しものは料理に時間がかかる。出店(でみせ)の食べ物は、烏賊の姿焼やたこ焼など、仕上がり過程が見える。匂いを発するものも多い。以上は筆者のつたない推定。出店の商品名に、季節を問わないのは当たり前。売れさえすればいいのだ。筆者流の屁理屈で言えば、AKB48は、秋に見るものとなる。そんなバカな・・・。

【梅が枝餅】福岡県太宰府天満宮(参道)の名物菓子。各地の祭りなど、人出の多い場所に臨時出店(しゅってん)される。名称は、菅原道真に由来。梅の香りがあるわけでなく、梅の刻印が入った小豆餡の焼菓子。    11.04月撮影 小倉城


26
  亭主消え

  今度の連れは

  影法師


   妻は、ほほえみながら

   「亭主は消えてもいいの」

   「影法師は文句を言わないし

    粗大ゴミにもならないのよ」


   亭主は、憮然として

   「てやんでぇー」

   「どげんかせんといかんばい」


  11.03.20記   11.03月撮影、一位ヶ岳   

25 発表会 緊張ほぐす 年長さん   11.03.04 記
 知人の招待を受け、保育園の生活発表会を見学した。開会式後、まず最初の演技は年長さん。年少さんと異なる身体的特徴は、脚が長いこと。葉ボタンも植えたときは葉っぱが土についていた。
 緊張をほぐされたのは親たち、観客席からささやきが聞こえてきた。「うまく出来るだろうかと緊張していたが、杞憂でした」と。園や学校のことは、すべて園や学校にまかせておけば間違いない証明の一つである。ところが近年、理屈に合わない父兄のクレームが多いらしい。このことでトラウマに陥り、辞めていく先生がいると報道されていた。そんな親を持つ子供も先生もかわいそう。  11年02月撮影 北九州市農事センター

24 スッピンと 青葉紅葉の 繰り返し 11.02.16 記
 手前のメタセコイアも後方のケヤキも化粧を落としたスッピン状態。時は2月、まもなく訪れる芽吹きの季節を待っている。これを女性に例えるならば、一日の行動を終え入浴後から朝をむかえる時間。べたべたと厚化粧を施すよりは、素肌の方が良いとの意見も聞かれるが、これを云々すれば叱られそう。でも、筆者には化粧の崩れ顔が枯葉ではなく紅葉が浮かんだのは不思議。
 メタセコイアは、赤茶色の紅葉した後、落葉する。日本で1939年、セコイアに似た植物化石が発見され、メタセコイアと名付けられた。1945年、中国四川省の水杉(スイサ)が同種と分かり「生きている化石」と呼ばれるようになった。この種子と挿し木が全国各地に植えられている。
 夏には涼しい木陰、秋には紅葉、冬には陽光を妨げないケヤキは、街路樹としてすぐれもの。中でも仙台市の青葉通り、東京都清瀬市の志木街道、前橋駅〜群馬県庁「ふるさとのケヤキ並木」は、狭い知識ながら筆者の推奨するところ。
 11年02月撮影 北九州市農事センター

23 無法松 寒は腹巻 音(ね)も重し 11.01.25 記
 “小倉生まれで玄海育ち口も荒いが気も荒い・・・” ここは小倉城、松に施す菰巻(こもまき)が腹巻に見え、小倉祇園太鼓を無法松がたたくシーンを連想した。写真の通りは、毎年7月に催される祇園太鼓競演会場。なれど、今は寒。さらしに代えて極太の毛糸で編んだ腹巻となった。“度胸千両のあばれうち”は寒のためか、腹巻のためかバチさばきに力がはいり、太鼓の音も重たく響く。
 無法松は岩下俊作の著書「富島松五郎伝」の主人公。題名が「無法松の一生」と変えられ4度の映画化。1958年の三船敏郎主演はヴェネツィア国際映画祭に出品され金獅子賞を受賞。他3点の主演は1943年の坂東妻三郎、1963年の三国連太郎、1965年の勝新太郎。

 【菰巻】 松枯れの原因となるマツカレハの幼虫マツケムシを除去する手段。
      春先に菰の中で越冬したマツケムシを菰とともに焼却して駆除する。
 【腹巻】 鎌倉時代の簡単な鎧が進化したものと考えられている。一昔前までは、
      主に年配男性が着用。最近は、若い女性に流行っているらしい。
 【無法松の歌】 無法松の一生・村田英雄  あばれ太鼓・坂本冬美
           おんな無法松・水沢明美   あばれ松・北島三郎
                                      11年01月撮影 小倉城

22 止しなはれ トンボやあらへん 目が回る 10.12.30 記
 小学生時代の私は、学校帰り1Km強の道程をよく道草をしていた。当時、道の両側には田んぼあり、池あり、草原ありでトンボやバッタなどが飛び交っていた。しばしば見つける大きなトンボを捕まえ、友達や家族に自慢したかった。しかし、どうしても捕まえることだ出来ない。ある日、通りすがりのおじさんにその方法を訊くと「これは鬼ヤンマ、トンボの正面に向かって人差指で輪を描きながら近づくと、トンボが目を回すから捕れるよ」と、教えてくれた。その方法が本当か否かは解らない。何度試みても捕まえることが出来なかったのだ。機会があるならば、また挑戦してみたいと思っていた。

 写真はNHK2010年下期、朝のドラマ「鉄板」の一場面。大阪で下宿屋を営むヒロインの祖母は、洗濯機の中で回転する洗濯物を見つめている。毒舌を振る舞い、近所の人からは、いけずなばあちゃんと煙たがられているが、毒舌の中には暖かい気持も見え隠れする。しかし、毒舌を論破する人は、誰も現れない。筆者は、その人達の仕返しとばかりに、洗濯機の中からけずなばあちゃんの目を回したくなったのである。祖母役・富司純子の演技が絶妙。 10年12月上旬撮影 NHKTV

21 小春日や 昭和も遠く なりにけり  10.12. 10 記
 写真は、国宝・仏殿や高杉晋作が挙兵したことでも知られている下関市長府の功山寺に建つ万骨塔の一部。明治維新に命を捧げた人の霊を供養するため、昭和8年(1933)長府の篤志家が日本各地から石を取り寄せて建設した慰霊塔。「万骨」の名称は、中国唐時代の詩人・曹松の詩「一将功成って万骨枯る」に由来。
・東京府 : 明治元年(1868)〜昭和18年(1943) 東京都の前身
・東京市 : 明治22年(1889)〜昭和18年(1943) 市域は現在の東京23区

 五七五は、中村草田男が昭和6年(1931)に詠んだ名句「降る雪や明治は遠くなりにけり」の模倣である。万骨塔にカメラを向けると、筆者の感覚は明治維新が太平洋戦争終結と入替っていた。坂本龍馬をはじめとして、若くして散った維新の志士に純粋さなどを感じ入るのだが、それは映画や小説で得た間接的な知識。一方、昭和の大戦争は、直接父母や体験者から耳にしたこともあるし、なによりも筆者は60年余り昭和を経験した人間。故に、「降る雪や“明治”・・・」が“昭和”となったのである。「小春日」は、維新の志士と戦争犠牲者に対する筆者の気持。 10年11月撮影 下関市功山寺

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