求菩提山

 福岡県豊前市、英彦山とともに修験道の大きな役割をなした山。修験道とは、日本古来の山岳信仰が密教や道教などと結びつき、山に籠って厳しい修行を行うことにより悟りを得ることが目的、神仏習合。1868年(明治元年)神仏分離令により各地で廃仏毀釈運動が起きた。このことで求菩提山の護国寺が国玉神社に変わったのだと思われる。1872年(明治5年)修験道廃止令が出され求菩提修験道の歴史が終わる。本登山は、その一遍を収めることを一つの目的としたもの。通常は難儀な850段の石段登りを避け、窟分岐から時計回りに歩いたのだが、今回は石段を登る逆コースをとる。しかし、鬼が一夜で石段を築いたと伝わる石段登りに鬼の気分が良く分かる辛さだった。  2018.02.23
求菩提駐車場9:50~10:30窟分岐~11:20安浄寺~12:00求菩提山頂(昼食)12:30
~ゆっくり窟を見物~13:20窟分岐~13:50求菩提駐車場
求菩提山  登山口に向かう途中より望む
求菩提駐車場(発・着)  右側はトイレ工事中   S61年、千日回峰行成満の碑  駐車場横
求菩提山登山口 いきなり急登が続く この石段は修験道時代のものと思われる
窟分岐  左に四つ、右に一つの窟 右に進む ⑤阿弥陀窟  窟は修験者の厳しい修行場
氷室跡  明治前期まで使用されていた みそぎ場  水量豊富な時代に堰はなかった
安浄寺に続く石段、後方は座主P 安浄寺  修験者の弔いの場、現在建物はない
旧名・護国寺(現名・国玉神社)への杉並木 獅子の口  修験者は手を清め口をすすいだ
旧名・護国寺(国玉神社)への入口 国玉神社中宮  明治元年、護国寺を改名
国玉神社上宮(山頂)への石段850段 石段終が終わると国玉神社上宮(山頂) 昼食
結堺石  神聖場所と俗界を区別する境 護摩場跡  窟方面と犬ヶ岳方面の分岐
①大日窟  大日如来坐像が祀られていた ②普賢窟  鋼板法華経(国宝)が発見された
③多門窟  北の方角を守護する役割を担った ④吉祥窟  経筒の納経が行われた
窟分岐  あとは登って来た道を下るだけ   登山口到着  数分で駐車場、登山終了
山行記録2018   山行記録(総合)