八ケ岳中信高原国定公園。長野県松本市、上田市、長和町にまたがる日本百名山。平安時代より美ケ原と呼ばれていたが、他の呼び方もあった。その名が定着したのは、1921年に小暮理太郎(登山家、後に日本山岳会第3代会長)が日本産各界会報に登山記録を執筆してから。1930年、山本俊一により山本小屋営業開始。1961年、ビーナスラインが開通し、車で行けるようになった。 小生が思うに、山頂に各社のテレビアンテナが建ち、車道が通じる山を深田久弥は何と言うだろうか。久弥の時代にそれがあったならば、日本百名山にはしなかったのではないか?。しかしながら、標高2000mと高く、広く、美しい山は魅力に溢れている。しかも3000m級の山が48座、日本百名山が41座見渡すことが出来るのだ。ただ、それらは天候次第で、今回の山旅は霧と霧雨そして強風にさらされ展望不可能だった。残念。 2014.07.13 |
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美ヶ原のシンボル 美しの塔と草原台地y↑
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新門司港発フェリー(泊)⇒大阪南港~バス~美ヶ原
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美ヶ原・山本小屋に到着、これより王ヶ頭を往復(宿泊)
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テガタチドリ 最初に眼についた花
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山本小屋から遊歩道に出ると雄大な放牧場に唖然
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美しの塔を右前方に見る
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美しの塔を一周、正面は詩が刻まれ反対側はレリーフ
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開拓者・山本俊一翁のレリーフ 美しの塔北側
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【 美しの塔 】
美ヶ原高原は濃い霧が発生し、遭難が多発した。 その対策として霧鐘を備えた高さ6mの「美しの塔」が 1954年(昭和29年)に設置された。塔周りは鉄平石、 塔内北側は避難できるスペースがある。1983年 (昭和58年)改築。塔の南側には山岳詩人・尾崎喜八の 「美ガ原溶岩台地」の詩が刻まれている。日本一大きな 文学碑であろう。塔北側には、開拓者・山本俊一の ブロンズレリーフが埋め込まれている。200本の道標を 設置し登山道を開くなど開拓者とての功績を称えたもの 山本小屋の創始者でもある。 山本小屋に宿泊した小生は 俊一の意思を引き継いでいる小屋に尊さを感じた。 |
王ヶ頭に向っている、右前方の黒い雲の下
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畜魂碑と美ヶ原を讃える碑![]() |
塩くれ場(牛に塩を与える場所)
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こんな石に塩をのせる塩くれ場![]() |
ウスユキソウ![]() |
ハクサンフウロ
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霧に包まれた王ヶ頭ホテル、王ヶ頭山頂後に休憩
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王ヶ頭山頂、天気よければ百名山41座を展望
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ノコギリソウ![]() |
霧と霧雨そして強風、山本小屋(泊)へ急ぐ![]() |