皿倉山、権現山

両山とも北九州市八幡東区に位置するが、権現山頂は八幡西区との境界。皿倉山の山名由来は、
神功皇后が西征のおり、この山の大岩(国見岩)から日暮れまで国々を眺望し、下山のとき更に日が
暮れたので「更暮山」と呼ばれるようになり、これが転じて皿倉山になったとの伝説。権現山の山名は
山頂すぐ下にある帆柱権現山神社に由来したのだと想像される。当初は、鷹見山と呼ばれていた。    
皿倉山頂へは、駐車場からケーブルカーとスロープカーを乗り継げば到着する。現在の小生は、歩るかず
して山頂に立とうとは思わない。  夏の夜は100億$と言われている日本三大夜景を眺める人が多い。
2014.11.03
  
皿倉山頂  権現山頂から展望
皿倉山登山口駐車場  発・着 
先ずケーブルカー駅へ   用件はトイレ 帆柱稲荷神社参道、長い石段
帆柱稲荷神社  登山の安全を祈願 九十九折りと急登の2路がある  楽な方を登る 
段を上がるのは同じ足となる、時々左右交代 森林植物園の標識で迂回する  平凡な林だった
迂回を終え本道に入る、幼稚園児は元気がいい 神功皇后が国々を眺望した国見岩、前方に若松区石峰山
神功皇后にならいて我も亦国々を眺望したり   八幡東区(手前)、洞海湾口の左は若松区、右は戸畑区
八幡東区(左側)と小倉北区  前方右の山は足立山、左は戸上山  関門海峡も見える    国見岩より展望
国見岩を後に短い急登を山頂へ向う 皿倉山頂、5社のTV塔とNTT塔  
海抜六二二.〇五米  小単位の5cmに注目 ヤノトラカミキリ  北九州市の昆虫学者が発見
北原白秋歌碑  山頂広場     【北原白秋詩碑】

    鉄の都 たかる人波さすがよ八幡
    山は帆ばしら海は北 船も入海 洞の海
    こゝの御空で立つ煙ぢやえ えゝま立つ 煙ぢやえ

     この詩は、北原白秋が昭和5年(1930)に八幡を
    訪れたときに作詞した「鉄の都」(作曲・町田嘉章)の
    第4節。詩碑は昭和49年建立。
    白秋はこのほか八幡で「八幡製鉄所初歌」
    (作曲・山田耕作)、「平原小学校校歌」(同)などの
    作品を残している。

                      北九州市ほか(抜粋)    
野口雨情詩碑   山頂とケーブル駅の間     【野口雨情文学碑

    くきの海辺の船もよい 船も帆がなきや往かれない
    お供についたくまがわに 山で帆柱きりました
    その時きつた帆柱は 帆柱山の杉でした

     この歌は、野口雨情が昭和7年(1932)5月、北九州市
    出身の童話作家・阿南哲朗の案内で皿倉山に登ったとき
    に作った「帆柱山の歌」
    碑は昭和32年に建立。雨情の生誕日、
    明治15年5月29日を記念して毎年5月、皿倉山頂周辺で
    「野口雨情まつり」が開かれ、雨情をしのんでいる。

                      北九州市ほか(抜粋)
小生達はこの雨情道路を下ってきた ビジターセンターに立ち寄り昼食
皿倉平より皿倉山頂を振り返る 権現山へ向う途中の帆柱権現山神社
権現山頂広場  後ろに電波塔 権現山頂広場、電波塔2つ目
下り、権現山周回道に出る 皿倉平、山道に入り登山口駐車場へ向う
連理の樹  縁結び、夫婦和合の象徴 県立ふれあいの家、主としてグループ研修場
駐車場が近づくと車道を3度横断 発・着点の登山口駐車場  
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