日向、新しき村

人間が人間らしく生きる理想の世界を求め、白樺派の作家・武者小路実篤(1885〜1976)と同志により
宮崎県の山村に新しき村が1918年に創始された。実篤の滞在は7年間。村の運営費を賄うため、村外
会員となり文筆活動に専念する。小生の調べたところ他の理由もあったようだ。実篤在村期間中には同
じく白樺派の志賀直哉や柳宗悦も来村している。1938年、ダム工事によって水田の大部分が水没する
ことになり補償額3000円をもとに現在の埼玉県入間郡毛呂山町に移った。村は実篤妻・房子ら少数が
残り、「日向、新しき村」として存続された。現在もわずかな人数で営まれている。       2013.05.25 

県道22号線を日向新しき村へ向うと武者小路実篤作品にちなんだトンネル 「友情」は当時の新しき村で執筆
狭い道を下る、運転席より
畑の端、ここも新しき村だったか、実篤書 日向新しき村入口 1918年〜80周年記念(文字の要約)
左の碑、雑草を踏み踏みたどりつく
開村50年に設置(右上の碑)  右写真のダム湖近く 水田の大部分はこのダム湖に沈んだ
実篤記念館 左写真は右端に見える
「父の記念館を祝して 平成16年夏 辰子」と刻まれている   以下、記念館の実篤作品と写真 玄関に掲げられた実篤の詩(書は有志)
1919年完成した母屋の前  後列左から5人目妻房子、6人目実篤 鴨居の上
1920年母屋の前  左から4人目実篤、6人目民芸運動の創始者・柳宗悦   掛け軸、床の間
1938年、ダム建設による補償交渉で来村した実篤(右端、下駄をはいている) 油彩画?2点
80歳 實篤
84歳 実篤 87歳 実篤  「いちはつ」を写した・・・とあるが小生見落としたか、なかったのか?
90歳 実篤
90歳 実篤、11ヶ月後に生涯を閉じる   どの絵もどの書も実篤の心が伝わる 床の間、手前の台に書物多数(撮り忘れ)
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