高野山・町石道ウォーク
 世界遺産、2004年登録「紀伊山地の霊場と参詣道」に属する「高野山町石道(ちょういしみち)」は、弘法大師が開創した高野山へ向う七つの道のうち九度山の慈尊院から山上西口の大門に至る参詣道。山上の根本大塔を起点に1町(109m)毎に180町石が建てられ祈りの道、あるいは信仰の道であった。弘法大師が開山のおり木製の卒塔婆を建て道しるべとしたが、朽ちた木製の代わりとして五輪形の町石が鎌倉時代に建て替えられた。
 当ウォーキングは最終180町石の慈尊院から137町石の六本杉までと、町石道を分かれ丹生都比売神社まで地元ガイドさんの丁寧な説明を聞きながら6Km、4時間余の行程だった。累積標高500mとツアーパンフレットに書かれていたが、それほどの労力は要しなかった。  
14.05.19
町石(ちょういし)  町石番号をさし説明の地元ガイド
  【慈尊院】
  高野山が年貢の徴収や外部との交渉場として山麓に置いた
  寺務所で、高野政所ともいわれた。女人禁制の高野に対して
  女人高野とも呼ばれるようになった。
  ここに住む母親を弘法大師が月に九度訪れたので九度山。
  本尊の木造弥勒坐像は国宝。本堂弥勒像など重要文化財。

  【丹生官省符(にうかんしょうぶ)神社】
  弘法大師が慈尊院創建時、鎮守社として丹生都比売および
  高野御子の二神などを祀った神社。
  室町末期建立の社殿ほか多数の重要文化財。

  【丹生都比売(にうつひめ)神社】
  弘法大師が丹生都比売の子・高野明神(狩場明神)が飼って
  いた黒白2匹の犬に導かれて高野に上ったと云われ高野の
  守護神として敬われた。日本三大厄神
  国宝に銀銅蛭巻太刀拵。本殿、楼門は重要文化財
  
慈尊院山門、ここからスタート 山門から振り返る、突当りまで世界遺産 右は駐車場
 2004年世界遺産登録時設置、平山郁夫・書 慈尊院本堂
慈尊院  乳がん平癒や子宝祈願(乳房信仰) 左画像の意味は小説「紀ノ川」にあり
丹生官省符神社に通じる石段、鳥居右に180町石(見えない)  最終の180町石、カウントダウン方式に進む
丹生官省符神社、屋根の左に高野山が見える 山道に入る  かつらぎ町は柿が名産、柿畑が続く
カラスビシャク   別名・ヘビノマクラ クジャクシダ
町石道から紀ノ川&かつらぎ町の街並みを展望 町石道から少し離れ展望台に向う
展望台、展望は抜群   (朝日、夕日百選) 遠方中央右(直線状)に高野山、左のピークは揚柳山
左右は柿畑  現在摘蕾中、「摘果(花)じゃない」と言われた ハハコグサ  日当たりのよい路傍に見た
銭壺 工夫(こうふ)に褒美の銭を与えた場所、石運搬を説明中  半分になった鎌倉期の町石と大正期に建て治した町石
 雨引山分岐、通過する 一里塚(3.93Km、慈尊院より)  隣に144町石がある
 フデフキソウ  弘法大師が筆の墨を拭った 大師石仏  
 シライトソウ(蕾) これより町石道と別れる  「今は檜、昔は杉の大木」とガイド
 ヒノキ林を丹生都比売神社へ向う 山を下り車道に出た所は、「にほんの里百選」
 自然石の石段の向こうに丹生都比売神社 丹生都比売神社に到着   ウォーキング完
 往き 5/19 7:00  明石海峡大橋  フェリーより 帰り 5/19 21:05  明石海峡大橋  フェリーより
 
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