槍 ヶ 岳 (その1)
 北アルプス南部に位置する槍ヶ岳 3180は、富士山 3776m、南アルプス北岳 3193m、奥穂高岳 3190m、間ノ岳 3189mに次ぐ日本第5の標高。槍の穂先(山頂)をはじめて極めたのは山岳修行僧・播隆上人。時に1828年7月、42歳だった。播隆上人は5回の槍ヶ岳登山を行ったが、その都度利用した岩屋「播隆窟」が登山道傍にある。1880年に登った英国人ガウランドは、山頂からの景観を「ジャパニーズアルプス」と命名。意外に思えるのは、芥川龍之介が登っていること。その様子が「槍ヶ岳に登った記」「槍ヶ岳紀行」に記されている。
 私たちは、新穂高温泉から右俣林道、飛騨乗越を経て山頂へ。数箇所ある槍ヶ岳ルートのうち、厳しさは下位クラス。それでも小雨の山中2日目、槍平小屋を出発し飛騨乗越2時間手前あたりから呼吸が荒くなる。が、森林限界を越えると、目の前に広がるお花畑に気持ちが安らぐ。ヨツバシオガマ、トーヤクリンドウ、イワギキョウなど高山植物に励まされながら標高3020mの山荘に到着。目の前に見えるはずの槍の穂先はガスっていて、文字通り霧の中。2時間の待機後、ガスが切れたのを見計らって穂先に登る。展望はまずまずだが、雲に隠れる山は多い。幸いにも穂高連山はよく見える。翌早朝、ガスの中を山荘出発。播隆窟まで下るとガスはほとんど消えていた。しかし、山々の山頂は雲隠れしている。遠方から槍の穂先をカメラに収められなかったことが、一番の心残りだ。山中3泊目は徳澤園「氷壁の宿」。井上靖の小説「氷壁」に登場する宿である。到着後、小説の舞台となった前穂高岳のピークが見えたときは感激ひとしお。最終日はザックを背負っているものの観光気分。明神池がある奥穂高宮の入場券には、上高地ならぬ「神降地」と印刷され「かみこうち」のルビが添えられていた、なるほど。期待した河童橋からの眺めも雲に遮られてほとんど見えず、これも心残りとなった。今回の山行は、心残りが2つあったが、タイミングよくガスの切れ間に槍の穂先に立てたことで、帳消しにしてなお余りあると言える。  
09.08.27〜31

新穂高温泉登山口(新穂高ロープウィ駅)  新穂高温泉登山口、これより登山開始
洪水や土砂崩れを監視するライブカメラ  穂高平小屋に到着し一休憩
奥穂高岳登山口 最初の渡渉、奥穂高登山口を通過して直ぐ
ここを渡ると藤沢レリーフがある 藤沢(九三)レリーフ、大正〜昭和初期登山界に貢献した
槍平小屋、山中最初の宿泊 翌朝小雨の中 槍平小屋を出発
千丈沢乗越分岐(飛騨乗越20分下)、救急箱 飛騨乗越、左方向は槍ヶ岳、右方向は中岳・南岳方面
中岳手前の大喰岳、飛騨乗越から写す はじめて槍の穂先が見えた、飛騨乗越から写す
槍ヶ岳山荘(650人収容)山中2泊目 槍の穂先、霧の流れは速く一時の切れ間を見て撮る
山荘で2時間半待機、天候の回復を待って槍の穂先に登る 上中央に笠ヶ岳・左下に山荘、槍の穂先より
後方左端・大天井岳と右端・常念岳(黒)、槍の穂先より 手前から大喰岳・中岳・南岳と続き最後方に穂高連山
山中2泊目の槍ヶ岳山荘を霧の中横尾・上高地方面へ下る 槍ヶ岳を初登頂した播隆がこもった播隆窟、霧が晴れる
天狗原分岐、霧は晴れたが山々は見えない 大曲付近、前方は横尾尾根
赤沢山からの落石、もちろん「落石注意」の標識あり おっと危ない!!赤沢山からの落石は山道をまたぐ
横尾、上高地までは11Kmだが、この日は徳澤どまり 横尾大橋、この橋を渡れば屏風岩・涸沢方面へ
最終泊の徳澤園「氷壁の宿」、井上靖の小説「氷壁」に登場 「氷壁」の舞台となった前穂高岳が雲間より見え感激
明神橋・前方は明神岳、最終日は観光気分 穂高神社奥宮の明神池
明神池をあとに河童橋へと進む 河童橋、梓川の水は少ないようだ
残念ながら穂高連山は雲の中、河童橋より 河童橋より焼岳を望む、このあとバスの人となり山行終了
槍ヶ岳(その2)山野草へ